子どもが僕らを素敵な先生にしてくれる。

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児童養護施設、小学校、教育系大学、教育実習、療育施設などで経験した事柄を連ねる、徒然なるままにが過ぎるブログ

ぼくらのたからばこやさん

どうか発達障害の「障害」という字に惑わされないでくれ

「定型発達と非定型発達のが双方に添う印象なのでは?!」

唐突なのですが、ちょっと言いたいことができたので話させてください。

支離滅裂なのは少し目を瞑って、乱文承知でぜひ聞いてください。

発達障害と世界の話です。

 

この狭い世界で一般的ではない発達=発達障害と呼ぶに過ぎないのでは?

いや、ホントです。

ぼくは大学から今まで、発達障害について疑問をもって生きてきたのですが、最近ふと気づいたんです。

ぼくも含め人類皆「発達障害」って字に惑わされてない!?日本人だけ!?

児童養護施設では自閉症やADHD、アスペルガーを始めとする発達障害の子どもたちが多く暮らしていますが、実習生やデータを見ていない新人さんは気づきません。

なんで?

はい、

なぜなら、定型発達の子どもを大勢集めて、無理矢理集団行動をさせようとしないからです。

言い方を変えると、

「大多数が発達障害なので目立つ比較対象がない」

もしくは

「誰もが自分のペースのみで発達し、支援されている環境である」

と。

学校と違って定型発達、発達障害と分けられて居ないので、発達障害としてではなくそれぞれの苦手なこと、得意なこと、という認識が日常なのです。

学校や幼稚園保育園で告知されるまで、子どもの発達障害に気付かないことがあるのは、同じ理由であると考えます。

だって、この子にとっては普通なわけですから。

一緒に過ごしていれば勿論普通、通常になっていく。

大人にとってもね。


発達障害ではない所謂一般的な発達をしている人間を、「定型発達」と呼ぶとわかりやすいかなと思います。

定型ですから、大勢がこの枠の通り発達するよーという目安で。

定型、テンプレート、普通、一般、大勢、おおかた、大体、9割など……

色々な表現の仕方があります。

定型ではない、大勢と違う、一般的ではない……

これを「障害」という言葉に収めている。

すると、ほらね、「障害」という字が印象操作をしているに過ぎないことに気づけるはずです。

 

定型発達は、障害ではないとは言えないですよ。

だって空気を読んで生きてきて精神を患ったり、本当にやりたいことではなく周りの風潮に流されたり。

立派に自由を侵害し干渉しています。

大きな流れに逆らって自分の心に正直に生きることは、発達障害と呼ばれる子以外にはできない芸当です。

才能です。

むしろ大きな流れに逆らって生きられる人を、特別に発達障害と呼んでいると言っても過言ではないかもしれません。


子どもの発達、いわば人間の発達は、「定型発達」と「非定型発達」に分けられる。

非定型発達に該当する突出した発達をする人、個性的な発達をする人を、世の中は「定型ではない」という意味で「発達障害」と呼ぶ。

これだけに過ぎない。

ホントですよ。

 

あなたや、あなたの子どもが害される世界なら、本来の居場所ではないのです。

非定型発達のあなたや、あなたの子どもが、今の世界の定型発達のように生きやすい場所がどこかにあります。

その生きやすい場所では、発達障害は定型発達と呼ばれるでしょう。

探せばいいのです。

自分の身を置く世界は、いつでもどこまでも、探す権利が誰にでもあるんです。

ここまで聞いてくれてありがとう。

そして、ねぇ、一人で息苦しい生き苦しいともがいているなら、ぼくらと一緒に探しませんか。

ぼく自身は、定型発達の大人です。

違いは協力の合図だ、手を取り合いましょう。