「フツーの人にとって人生は長いが、フツーでない人にとって人生は余りにも短い」
今日もぼくの頭のなかをそのまま吐き出すので、ぜひ聞いて感想聞かせてください。
発達障害を個性だと主張する偉い人はたくさんいます。
ぼくも根本的には同意見ですし、発達障害を病気などとして隔離差別するような人たちよりよっぽど先進的であると感じます。
でも、事実誰かが困っている現状を見ぬふりしていては、結局誰のためにもなりません。
困っているのが大衆なのか、発達障害の子なのかはさておき、人が個人として生きやすく在れる場所に居たいのは当たり前です。
ぼくはね、発達障害をたくさん勉強して、発達障害をもつ子どもや大人と触れあって、学ばせてもらって、思ったことがあるんですよ。
それはね、
一般的に人ができないこと、人がしないこと、人がやりたくても敢えてやらないでいることを「やれる」のが発達障害の強みであり才能なんだということです。
前回の記事でも言いましたが、
定型発達の人ができないことが、非定型発達(発達障害)の子にはできるんです。
要は、見方を変えることです。
周りの、大衆の、大勢の、普通の、一般的な人の、見方にあなたを、そしてあなたの子を当て嵌めないでください。
だって、一般的でないことは強みでしかありません。
わざわざ埋もれさせては勿体ない。
突出した才能をねじ伏せる行為は、子どもも親も、学校も、施設も、国ですら、誰も得しません。
例えばね、
学校でやらねばならん宿題があって、でも宿題よりもやりたいお絵描きがあったとするよ。
みんなならどうする?
あなたの子どもはどうすると思う?
定型発達の人はどのくらいの人数が「宿題をやらない」選択肢を取れるだろうか。
まず選択肢に「宿題をやらない」が入ってくる人はどのくらいいるんだろう。
逆に、非定型発達、発達障害の人がお絵描きよりも宿題を優先する割合はどのくらいなのだろうか?
ちょっと考えよう。
宿題やらなかったら人生終わるのか?
やってもやらんでも、生きられる時間はあまり変わらないね。
じゃあ好きなことやってたほうがいい。
定型発達の子は、「大衆に合わせる能力」や「叱られることを回避する才能」がある。
これは学校で教わるものだし、人間が定型発達すれば学生時代に取得できる確率が高いスキルだ。
必要だと感じれば非定型でも獲得できるスキルだ。
でも、発達中に無意識で「宿題をやらない」ことを選べるスキルはごくわずかにしか与えられない。
フツーに、一般的に、定型発達してしまうと獲得できない。
この点で、お絵描きの才能が定型発達よりもあるのは確かだ。
だってやらねばならんことをしない選択をしてまで、才能を伸ばすこと選べるんだから。
これってすごい。
ほんとにすごい。
学校では、社会に馴染めるように「一般的」を学んだり教えたりする場所なのは確かだよ。
教師が皆と足並みを揃えたがるのも、社会一般や集団行動を円滑に行う方法を教えるためであり、必ずしも個々を蔑ろにしたいだけではないということは覚えておいてほしい。
言ってしまえば、一般的な学校の教師は、子どもに定型発達の何たるかを教えるためのお仕事だよ。
それができない人はまず先生として学校に居ないからね。
そして、だ。
学校や幼稚園で、集団行動と定型発達を教えてもらって、はたと気づくの。
「あれ、もしかしてこの子定型発達ではないのでは???」
これ、気づけたらもう勝ち組だからね。
早く動き出せば早いだけ才能は伸ばせるよ。
だって人生は限りがある。
才能を開花させるのにどのくらいの時間が必要か?なんて、誰にも判らない。
なら、今!動かなきゃ遅いかもしれない。
考えて。
保育園や学校で教わるのはね、世界中、宇宙中に在るありとあらゆる分野のなかで、有名な一握りだけ。
定型発達の子の多くは、この一握りのみから、力を発揮できる分野を見つける才能がある。
学校は有名な分野をまず教えて、有名な分野の定型(テンプレート)を知らせる機関だよ。
そのためにあるの。
教師は有名な分野のエキスパートなだけだから、非定型なものを勉強していない人が多い。
ぼくもただの教師時代はそうだった。
だから、学校で教わることがなんだかこの子に合ってないと思ったら、その学校やめていい。
その場所で苦しみながら生きなくていい。
逃げでも何でもなくて、自分の才能が生かせる場所を探しに行くだけだ。
何も悪くないし、誰にも止められん。
だってほら、フツーじゃない人生ってほんとうに短い。
世界中の無限に在る分野を、全部網羅する時間はない。
今すぐ動いて、学校では教えてくれない非定型なところから、その子の才能に合った分野を見つけた方がいい。
いつまでも定型に収めようとしないでいいんだ。
発達障害って字面に惑わされるのやめよう。
その子、大衆と違って非定型な発達ができる、天性の才能を伸ばすギフトを授かった選ばれし子だからね。
才能の活かし方は、学校で学べる有名なもの以外は学びづらい。
これは仕方ない。
いつの世も、天才は大衆に認められにくい。
優遇されるまでに時間がかかる。
なぜなら大衆は、天才を見つける方法を学んでいないからだ。
大衆に埋もれる天才の才能を見つけ出すのが、ぼくたち「気づけた大人」の仕事だよ。
その子のための世界、見つけにいこう。
気づけたならそれも自分の才能だぞ!
ここまで聞いてくれてありがとう。
ぼくの戯言だと受け流さずに、何か考えてもらえたならそれもまたあなたの才能だ。
あなた自身が、そしてあなたの子どもが、生きやすい場所を探す手伝いはいつでもさせてね。