子どもが僕らを素敵な先生にしてくれる。

子どもが僕らを素敵な先生にしてくれる。

児童養護施設、小学校、教育系大学、教育実習、療育施設などで経験した事柄を連ねる、徒然なるままにが過ぎるブログ

ぼくらのたからばこやさん

子どもたちはなぜ可愛いのか考察してみた

「子どもである時点で100点満点では?」

ぼくは子どもが好きだ。

多分「全米子ども好きランキング」とか、「ちびっこ慈しみオリンピック」とかあったら表彰台に上がれる自信がある。細胞レベルで子どもが好きだ。ぼくに可愛いと思えない子どもは居ないし、子どもであれば誰もが可愛い。自分でも何を言っているのかわからない。

只し、子どもには全く性的魅力、または支配的魅力を感じておらず、ロリコンやショタコンの定義とは外れている。自他ともに認める真性のロリコンの友達からも、

「お前のは俺らロリコンとは違う。ただ純粋に度の過ぎる子ども好きだ」

とお墨付きをもらっている。なんだか逆に気持ち悪い気もするが……。どちらかというと何でかわからんが集めてしまうぬいぐるみや、あれば触りたくなるもふもふした毛布などと似た感覚だ。本能が理性より先に「可愛い、好きだ」と感じる。とにかく、子どもを害したり法に触れたりする種類の子ども好きではないということだけ、きちんと周知を頼む。

ちなみに経歴。教育学部卒。小学校教諭、中学校教諭の免許持。小学校教諭、療育者(児童指導員)を経て、現在は児童養護施設の職員をしている。髭は生えない方の人種です。犯罪はしてません。

さて、そんな子ども好きが過ぎるぼくだが、なぜ子どもが可愛いと思うのかは、いやはや長年の疑問である。答えが有りすぎて、逆に無い。自分でも何を言っているのかわからない。

無尽蔵に果てなく涌き出るものだから、一部をここに箇条書きにして残しておこうと思う。自己満足だ。皆は「うわー気持ち悪い大丈夫かコイツ」という気持ちで読んでみてくれ。今さらだが、この文体が気持ち悪さを倍増させている気もするな。もっとフランクに書けばよかった。後悔している。でも今回はこのまま書き連ねるのでよかったら見てくれ。 

あのサイズ感で生きている

小さいものを可愛いと思うのは生き物の本能である。これにはほとんどの人間が抗えず、感じたことのある感情だと考える。言わば子どもはある種大人のミニチュアである。構造も大人と同じだ。息もしている。食べ物も食べる。シルバニアファミリーが生きていて動いているのと大差ない。奇跡だ。奇跡のサイズ感。本能で可愛い。理由はいらん。

支援や援助が不可欠である

可愛いという感情には、加護欲や慈愛などの「守りたい」「守らなければ」という使命や責任感が含まれるとぼくは思う。大人ですら一人では生きていけないというのに、子どもたちはどうか。身を守ることも、心を守ることも、一人ではできないのだ。人の力の借り方も知らない。一人での生き方も知らない。だからこんなぼくでさえ、この子たちにできる、教えられることが山ほどある。生きてきた時間だけは、大人なら誰でも子どもより勝っているのだから。人間になりたての子どもたち、なんて可愛いんだ。守りたい。

大人への無償の信頼

子どもは無垢でそして非力ゆえに、無意識に頼れる存在を見つけ盾とする。自分を守ってくれる存在を、盲目的に愛し、守ろうとする。子どもが注ぐ親への愛こそが無償の愛だと思わないか?自分を守ってくれる存在を、自分も守ろうとするのが子どもである。その対象に、自分が、入り得るのだ。親の他に、先生と呼ばれる職種の人間もまた同類の愛を与えられる可能性がある。これは幸せ以外の何物でもなかろう!そうだろ!?子どもたちより長く生きているだけで与えられる最上の喜びだ!これだから、子どもは可愛い、守りたいと思わざるを得ない。

思ったより文字数が増えてしまって3つしか書けなかった。これはシリーズ化して、ぼくのアツイ気持ちを世間様に知ってもらうことにしようと思う。共感できるという強者はぜひ挑んでくれ。今日は、ここまで。うっわ自分で読み返したらめっちゃ気持ち悪かったでもほんと子どもって可愛い!!!!