子どもが僕らを素敵な先生にしてくれる。

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児童養護施設、小学校、教育系大学、教育実習、療育施設などで経験した事柄を連ねる、徒然なるままにが過ぎるブログ

児童養護施設職員の自分が自分の幼少期のトラウマを考えてみる

「嫌なことがあると、決まってお腹が痛くなるのめっちゃ不思議だよね」

児童養護施設に勤めていると、精神疾患を患う子どもたち、発達障害をもっている子どもたちに、一般より多く接することができます。

性的虐待、暴力、ネグレクト、精神的虐待……子どもたちが抱えるトラウマも様々で、発症の仕方も様々。元々発達に凹凸があり、発達障害の二次障害として精神疾患を患うこともしばしばです。児童養護施設に保護される原因が、親や子ども自身の障害、精神疾患によることも少なくありません。

ぼくはこの仕事をするようになり、過去に増して「心の回復」について考えるようになりました。 

身体は時間と共に回復できるようにできている。眠る、食べる、動くなど、本能が治療してくれることも多いです。しかし、心はそうはいきません。心って、明確な治療法や休息の取り方に未知が多すぎると思いませんか。

何もしないことが回復法の人もいれば、何かしないと回復しない人もいる。何かするにしても、何をしたら回復するかなんて誰にもわからないのです。

でも、わからないからこそ思考を止めてはいけないのだと感じています。

わからないからと投げ出したり、諦めたりするには人生は短い。ぼくは死ぬまで考えられる大人であり続けたい。答えの出ない事柄に対し、敢えて右往左往する人がひとりくらい居ていいでしょう。せっかく大人になったんですからねぇ。

さて、考え続ける大人を目標に生きるぼく。児童養護施設の子どもたちに有効な支援、効果的な手当てを施すため、自己分析をしてみることにしました。

ぼくは子どもの頃特に困りもせず、天真爛漫自由奔放に生きていた部類の子どもであると思います。

もちろん、親の期待に応えたいとか、平均よりできている方がいいとか、よくある欲求はありましたがその程度で。精神を追いつめられる繊細さも、世界に疑問をもつ貪欲さもありません。なんてアホなんだ。まぁ今だから言えることなのかもですね。当時は悩んだり苦しんだりしていたかもしれません。あったとしても、大人になった今忘れてしまいました、なんてアホなんだ(笑)

しかしですね、そんなぽけらーんと生きてきたぼくにも1つだけ、「これが幼少期のトラウマってやつ!?」と思い当たるものがあります。

バスです。

幼児のぼくは、幼稚園のバスに乗るのが非常に嫌いでした。毎日泣いて、大人に無理矢理乗せられて……幼稚園に連れていかれることに恐怖がありました。バスに乗ったら、帰れないと思っていました。

まぁね、言うてもぼくなんでね、幼稚園に着いてしまえば無邪気に遊んでましたし、歳を重ねるごとにバスにも慣れ、周りの子に混ざって乗れるようになりました。アホのぼくなんでね!(笑)

この頃の思い出を引きずっているのか、未だにバスが苦手です。自分の意思で止まれず、どこか遠いところに連れていかれる感覚が苦手。派生して、電車や飛行機、タクシーも苦手。ちなみに電車を待つホームやバス停では腹痛になる。通勤や登校など、移動の時間がどうにも苦手。トラウマなんて大それたもんじゃなく、ぼくの性格なだけかもしれんが……。

強いて言うならこれが己のトラウマってやつかなぁ、と漠然と考える今日この頃です。皆さんはどうやって自分のトラウマを克服し、心を回復していますか?

ぼくはまだ、答えが出ていません。