子どもが僕らを素敵な先生にしてくれる。

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児童養護施設、小学校、教育系大学、教育実習、療育施設などで経験した事柄を連ねる、徒然なるままにが過ぎるブログ

ぼくらのたからばこやさん

性被害、性的虐待を、自分はどう思っているのかまとめる

「強い言葉だが、紛れもない悪だと断定します。」

ぼくは物心ついたときから自分より歳下を全て加護対象だと認識していた程のちびっこ好きです。

ここで勘違いしないでいただきたいのは、恋愛対象としてはほんっっっと見ていないということです。

子どもを性的な対象に見られる「好き」は、ぼくの「好き」とは違います。

子どもに性的な欲求を!?こんな聖なるものに、自分が手をかけるなど!!!言語道断!!!むしろ子どもが近くにいるだけで色んなものが浄化されて、食欲や睡眠欲などの欲求や煩悩がすべて吹っ飛ぶ。これマジで。ぼくおかしいかもしれんがこれほんと。

 

ぼくは元々性に疎く、人なら皆愛してる!的な思考を持っているので、普段自由博愛主義を謳っています。

ジェンダー論的に言えばパンセクシャルフレキシブルでXジェンダーといったところでしょうか。Aセクシャルではないが、性行為は自分の人生に必要ではありません。

ぼくの普段のキャラクター的に「あぁ、まぁハルだしな。」「男も女もその他性別なんて関係無さそう納得」と言われる。受け入れられるから自身も悩まない。隠さない。隠さなくても何となかっているからその点生きやすい。だから何だって話ですけどねぇ(笑)

 

しかし今回言いたかったのはそういうことではなくて、性欲を他者に押し付ける犯罪について、ぼくの見解を述べたいという。ね。

自分の性欲があまりに薄くて何とも言いがたいんだぜ、ってことを伝えるのに600文字もかかってしまった。文才がない。

大分前置きが長くなってしまったけれど始めます(笑)

 

経験していない人にとって、性行為は計り知れない未知の行為ですよね。

普段見せてはいけないとされる身体の隅々をお互い見せ合い、触れ合い、あまつさえ粘膜を繋げるわけですから。

身体中を不自然に蹂躙されるのは不快以外の何物でもありません。人間には、自分の身を守るために、自分に不必要なものには嫌悪感を抱くようプログラムされています。

望まない接触には、不快、嫌悪を強く強く感じる。それは、「解離性障害」を生み出すほどに。

ましてや異物が体内に侵入する嫌悪感は、耳掃除やインフルエンザの検査、胃カメラ等で皆さんも経験済みのことかと思います。ある意味、歯ブラシもそうですよ。

そりゃ、トラウマだよ。

性別は関係なく、自分の望まない接触を強制させられるなんて、拷問です。

ぼくは一概に性欲を汚いものだとは思っていません。様々な感情を凌駕する神秘的なものを感じている節もあります。

しかし、その欲を人に押し付ける形で満たそうとする人が、悲しくも世の中には存在します。

幼児や力のない者を対象とした性行為、望まない性行為、あまつさえ性虐待についてはぼくは断固嫌悪感です。

 

強い言葉ですが、性加害は確実に「悪」です。

痴漢や強姦など、「相手が薄着で誘っていたから」とか、「こんな夜中に歩いていたから」とか、変な弁論をしてくる輩もいますが、ただの惨めで浅ましい理性の崩壊です。被害者にはなんの否もありません。

夜中に歩いたっていいじゃないですか、どんな格好をしたって自由じゃないですか。

さっきの弁が許されるのであれば、「美味しそうなケバブの匂いがしたから、そのまま手掴みで食べた。俺は悪くない、いい匂いをさせてるケバブ屋が悪い」が罷り通ることになりますよ。おかしいでしょう。

性虐待、性被害、これだけは加害者をどこも弁護できず、受容できない。これだけはどんな事情があろうとも紛れもない「悪」であると、ぼくは断定します。

性虐待、性被害、早期発見や対策で、被害者を減らしていけたらいいのですが……。

さらに言えば、悪により傷ついた方々のケアを、ぼくも考えていきたいです。

ぼくにもなにか、できることがあるかなぁ。

考え続ける日々には終わりがありません。