子どもが僕らを素敵な先生にしてくれる。

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児童養護施設、小学校、教育系大学、教育実習、療育施設などで経験した事柄を連ねる、徒然なるままにが過ぎるブログ

死にたいときの対処法なんてあるんかなぁ①

「死に寄り添う生き方と、生に寄り添う死に方をを考える」

死にたいと感じている皆さんへ、今日はお手紙です。

ぼくは考えをまとめるためにつらつらと、支離滅裂なお手紙を書くことがありますが、それが今日のこの記事です。

こんな考えの人もいるんやなぁ、ちょっと自分と比べてみよ、なんて思ってもらえたら嬉しいです。

 

ぼくは「生」も「死」も応援しています。

結論から申し上げますと、ぼくはあなたを応援しています、ということ。

死にたい思いを抱いて尚生きることを?

勇気をもって潔く死ぬことを?

はい、そのどちらもです。

生きていることこそが辛く苦しいものであるという前提

まずぼくのことを話させてください。

ぼくは普段、「生きているうちにできることは限られている」と語っています。

少し逸れますが、ぼくは輪廻転生と極楽浄土を信じています。また「生きていることこそが苦行、修行であり、現世で修行を終えると元居た天界に帰れる」という説を信じています。

無宗教なので、怖い勧誘や説得なんかではないですよ。

生きている=しんどいことだと考えているぼくは、常に死にたい=帰りたいという想いに苛まれています。元居た場所に帰るため、この世界で修行中の身ですから、口に出すことさえないですが……心のなかにいつも「帰りたい」気持ちが渦巻いていることを告白します。

家にいるのに漠然と「帰りたいな~」と思ったり、何の脈絡もなく寂しくなったりするのは、ぼくがいつか帰るべき場所があるからなのだと感じている。

とにかく、ぼくは今生きていることこそが、辛く苦しいものであるという前提のもの生きているのです。

しかし、死にたいもうダメだ……と鬱にならず生きていられるのは、死を自然なものとして前向きに受け入れているからに他なりません。

死ぬことすら、生きているうちにしかできない。

それも、「生きているうちにできることは限られている」からです。

死にたい気持ちとどう過ごしている?

さて、ここからが本題です。

皆さんは、死にたいと感じるとき、その気持ちとどう過ごしていますか。

寝逃げや気分転換などのインプットかな。自傷、相談や発散など気持ちのアウトプットかな。

死にたいときって、冷静な判断も現実的な案も不可能になっていることが多くない?

「死にたい」気持ちと上手く向き合えなくて、苦しい思いを増長させていること、多くないかな。

どうしようもなくて、辛くて、逃げ場もなくて、「死にたい」気持ちにいつも追いかけられて、何かに責められて、身も心もボロボロに砕けていって。

死にたい自分を受け止めきれなくて、受け止めてもらえる場所もない。死にたい気持ちを外側に出す方法が見つからなくて、死にたいと吐き出せるほど信用できる人もいない。

苦しい苦しい「生きる」を、「死にたい」気持ちと喧嘩しながら過ごしている。

死にたい思いは消えてくれない。

希死観念を消して生きたい気持ちがある人もいれば、とにかくもう死んでしまいたい人もいる。

どちらの人にとっても、「死にたい」思いに寄り添う考え方を、ぼくなりに考察してみました。

次回の記事でご紹介いたします。明日まで暫しお待ちを……。

 

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