「死に寄り添う生き方と、生に寄り添う死に方をを考える」
死にたいと感じている皆さんへ、前回引き続きお手紙を書いています。
ぼくは自分の考えをまとめるために、つらつらとひたすらに、支離滅裂なお手紙を書くことがありますが、それが昨日今日の記事です。
こんな考えの人もいるんだなー、へぇー、ちょっと自分と比べてみようかねー、なんて思ってもらえたら嬉しいです。
死にたい思いを抱えて生きている皆さんへ
希死観念を消して生きたい気持ちがある人もいれば、とにかくもう死んでしまいたい人もいる。どちらの人にとっても、「死にたい」思いに寄り添う考え方を、ぼくなりに考察して提案してみます。
自分とは当てはまらんなぁ、なんてお言葉も尤もですし、歓迎です。
あなたの「死にたい」は、どちらに傾きますか。
まず、自分がどちらの「死にたい」人なのかを分析してみよう。
①「死」自体を望んでいる。
とにかく死んでしまいたい。生きていたくない。
②生きることが辛く、今の状態から離れたくて「死」しかないと考えている。
生きていたいのに、死にたいと思ってしまう。苦しい心を解放する方法が「死」にしかないと考えている。生きたい思いはあるが状況が死を選ばざるを得ない。
以下、ぼくの手紙には主観的な要素しかなく、共感できない、気分を害したなどのご感想を抱かれる方もおられると思います。
コメントなどで教えていただけたら嬉しいです。皆さんの気持ちが教えていただけることは、ぼくにとって生きる糧となります。
①を選んだ、「死」自体を望んでいるあなたへ
死ぬことは悪なのか?
①の気持ちが大きいあなたは、まず日本を出ましょう。
え?力業だなって?そうです、しかし日本を出てみよう!
ぼくは、日本の命の在り方に少し疑問があります。
なぜなら、生きていることが当たり前で、死ぬことは悪だという風潮があるからです。
死ぬと咎められるけれど、生きていて褒められることはない。死ぬ方法がたくさんあるのに手を伸ばすことが許されず、ただ苦しんで生きることを強いられている世の中です。
死ぬことは、生きているうちにできる最後のこと
ぼくはね、死ぬことを選択するのが悪だなんて思いません。
命を与えられたのは勝手にでしたよね。ですから、命を絶つのも勝手でよいはずです。命を与えられたのも自然であったのですから、命を絶つのも自然でよい。
自分が今だと思ったときがそのときです。
今の日本に法的な方法がありません。外国には安楽死を認めている国があり、国籍を変えれば手厚く弔ってもらえます。
誰にも迷惑をかけずに、静かに死にたい。死自体を純粋に望んでいるというあなたは、国籍を変えて安楽死。これがベストです。
死ぬことは、生きているうちにできる最後のことです。
とにかくそこから居なくなりたいのであれば、国内でよけりゃぼくのところに来てください。ぼくに勇気がないので直接殺すことはできませんが、死ぬ方法を死ぬまでかけて一緒に考えよう。
死に向かって走る。
前向きに、死を受け入れて。
安楽死以外にも、あなたの望む死に方がもしあるのだとしたら。
自分の望む死を得られる方法を、ぼくと考えましょう。
②を選んだ、死にたいのに生きているあなたへ。
②を選んだあなたには、次回お手紙を書きます。
生きることが辛く、今の状態から離れたくて「死」しかないと考えている。
生きていたいのに、死にたいと思ってしまうあなたに。
死にたいはずなのに、生きているあなたに。
ぼくの言葉を聞いてもらえませんか?
そして、ぼくと一緒に考えませんか?