「死に寄り添う生き方と、生に寄り添う死に方をを考える」
前回の記事で、ふたつを提案し、問いかけました。
①死自体を望んでいるのか。
②生きていたいが今の状況から逃げる方法を「死」のみと考えているか。
今日は②の考えをもつあなたに、ぼくからお手紙です。
まずぼくの考えを知ってほしい
前提として、ぼくはあなたを応援しているということを忘れないでね。
死ぬことも、生きることも、あなたのそのままを応援しているよ。それは忘れないで。
それでは。
生きることが辛く、今の状態から離れたくて「死」しかないと考えている。
生きていたいのに、死にたいと思ってしまう。苦しい心を解放する方法が「死」にしかないと考えている。生きたい思いはあるが状況が死を選ばざるを得ない。
そんなあなたには、まずぼくの考えを知ってほしい。一緒に考えてみよう。ぼくもちゃんと考える。
「死」の条件ってなんだろう
「死」って、どんな状況?
「死」って、どんな状態?
心臓や呼吸がが止まったら?人の記憶から存在が無になったら?自分に意識がなくなったら?焼いたり水に沈めたりして身体をがなくなったら?
ぼくはねぇ、「死」というものは実は存在しないのではないかと思っている。
だって考えてごらんよ。
死んでないなら、全部生きていることになっちゃうよ。
ちょっとズルくない?「死」に当てはまるものがめっちゃ少ないよね?
生きたい気持ちがなくたって、心臓が動いていれば生きちゃうもん。
生きたい気持ちがなくたって、死んでなければ生きちゃうでしょ?
楽しくても苦しくても、同じ生きてる扱いでしょ。喜びの涙が流れていても、悲しみの血が流れていても同じ生きてる扱いでしょ。
ただ寝ているだけでも、脳死なんかで永遠に意識がなくっても、勝手に身体は生きちゃうし、生きてる認定されてるもんね。
そう考えると、「死」の条件って本当に極々僅かしかない。
自ら命を絶とうとしても、それすら難しくてさ。
世間やら家族やら、自分の中の何かやらに咎められて死ねないままでいる。
死にたくて死ねないままでいることも、生きてる認定。生きてる扱いでしょ。
この世界は、死ねないなら生きるしかない、しかも、全うに!日の下で!皆と足並み揃えて!
これがまーた、とてつもなくハードルが高い。
前向きに受け入れるか、後ろ向きに受け入れるか
生死について、生きることを前向きに受け入れている人、生きることを後ろ向きに捉えている人では、もう種類が違う生き物だと思った方がいいかもね。
逆もしかりでさぁ。死ぬことを前向きに受け入れている人と、死ぬことを後ろ向きに捉えている人も違う種類だよ。
「死にたいとかいうやつは構ってちゃんだよ」って人はね、生を前向きに受け入れている人種だ。別の種類の脳みそ持ってるって思うのがいい。
生きることを前向きに、死ぬことは後ろ向きに。そう教えられる世の中だから、あなたたちは生きづらさを感じざるを得ないんじゃないかなぁ。
ぼくはね、生きることも、死ぬことも、応援しているよ。
そしてぼくは、生と死どちらも前向きに受け入れている人種だ。
何度も言うけれど、「生きているうちにできることは限られている」。
生きているうちにできる最後のことが、死ぬことだ。
そうでしょ?
だから、ぼく死ぬことも生きることも、同じことなんじゃないかと思ってる。
世間の目がどうとか、親がどうとか、学校が、友達がどうとか、そんなんじゃなくて、自分が選ぶ命を、どうしたいかが問題なのかなって。
発達障害で世間に受け入れられない。精神疾患でどこにいても生きづらい。どう生きたらいいかわからない。
外界に答えはない。
あなたのその「死にたい」が、一番答えに近いはずだよ。
あなたの感情だもん。大切な、他でもない、あなた自身の気持ちだもん。死にたいだって、大事にしていこうよ。
生死は同一であり、どちらを受け入れるかは自由ではないかとぼくは思うよ。
今死にたいみんなへ
死にたくて、生きたくて死にたくて、苦しい苦しい生をもがくみんな。
1度、死にたい自分を前向きに受け入れてみてね。
死にたい……どうして私ばかり、苦しい……明日が怖い、逃げたい、生きていたくない……
そうか、私死にたいんだ。
生きてるうちにできる最後の最期を選ぶほど、命を終わりにしたいんだ。
それを受け入れて。
怖くても、惨めで、情けなくて、みっともなくても受け入れて。
命の終わりを、望んでいる自分を。
終わるしかない命と、自分が自分を評価したことを。
あなたの気持ちを、あなたが受け入れて。そうしたら、答えが広がって見える。
いやだった?悔しかった?腑に落ちなかった?
それとも、納得した?
それも、受け入れてくれ。
難しいなら、手伝うよ。
ぼくが手伝う。だから受け入れてみよう。
そしたら、今自分に何が必要か見えてくる。
本当に「死」が必要かもしれないし、あるいは違うかもしれない。
病院にいって薬もらおうとか、ネットや近所で理解者を探そうとか、とりあえず家族とは距離をおこうとか、思うかもしれない。
自分を受け入れた先にある「死」以外の必要なもの、一体なんだろう?
死にたい自分を受け入れて、ではもし「死」以外にもらえるならば、なにが欲しいのか一緒に考えてみない?
お金かな、友達かな、安心かな?自分の居場所?アイドルのライブチケット?恋人?それとも他人の不幸とか?
思いついたもの、ぼくにこっそり、教えてくれる?
生きたい自分と、生きちゃってる自分と、死にたい自分を、全部1度、受け入れる。
紙に書いてもいいよ、ツイッターに呟いてもいい。声に出して叫んだっていい。
私死にたいんだな、じゃあもう最期を覚悟しているのかな、最期を覚悟したら逆に、したかったこと思いつくかもしれない。
なんでそう思うのか?
あのね、ぼくがそうだったからだよ。
死にたい自分に直面したとき、前から受け入れて飲み込んだら、今の自分ができあがったんだ。
多分みんなの「死にたい」より、ずっとずっと些細な死にたいでさ、ここに晒すのも恥ずかしいくらいの大きさなんだけどね。
死にたい自分を受け入れたら、なぜ死にたいのに生きているのか考えられるようになった。
そしたら、なんだか、生きてる。
他の人の生きる手伝いなんかしちゃって、せんせーになっちゃった。みんなのせんせーをして、ぼくは生きてる。人って死ぬまでなにが起こるかわかんないんだね。
生と死について、まだ答えは出てないから、これからもみんなで探したい。
死ぬまで、ぼくと考えてくれると嬉しいな。
ぼくはあなたが死ぬまで、生きるの手伝うからね。
支離滅裂が過ぎたけど、ぼくの「死にたい」と「生きたい」が、なんとなくでもあなたに伝わるといいなぁ。
あなたの気持ち、死にたい気持ち、ぼくはそれごと大切だと思うよ。
今日も寒いね。
明日はどうかな。
明後日はどうかなぁ。
ハルより。