子どもが僕らを素敵な先生にしてくれる。

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児童養護施設、小学校、教育系大学、教育実習、療育施設などで経験した事柄を連ねる、徒然なるままにが過ぎるブログ

ぼくらのたからばこやさん

死にたいときの対処法なんてあるんかなぁ③

「死に寄り添う生き方と、生に寄り添う死に方をを考える」

前回の記事で、ふたつを提案し、問いかけました。

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①死自体を望んでいるのか。

②生きていたいが今の状況から逃げる方法を「死」のみと考えているか。

今日は②の考えをもつあなたに、ぼくからお手紙です。

 

 

まずぼくの考えを知ってほしい

前提として、ぼくはあなたを応援しているということを忘れないでね。

死ぬことも、生きることも、あなたのそのままを応援しているよ。それは忘れないで。

 

それでは。

生きることが辛く、今の状態から離れたくて「死」しかないと考えている。

生きていたいのに、死にたいと思ってしまう。苦しい心を解放する方法が「死」にしかないと考えている。生きたい思いはあるが状況が死を選ばざるを得ない。

そんなあなたには、まずぼくの考えを知ってほしい。一緒に考えてみよう。ぼくもちゃんと考える。

「死」の条件ってなんだろう

「死」って、どんな状況?

「死」って、どんな状態?

心臓や呼吸がが止まったら?人の記憶から存在が無になったら?自分に意識がなくなったら?焼いたり水に沈めたりして身体をがなくなったら?

ぼくはねぇ、「死」というものは実は存在しないのではないかと思っている。

だって考えてごらんよ。

死んでないなら、全部生きていることになっちゃうよ。

ちょっとズルくない?「死」に当てはまるものがめっちゃ少ないよね?

生きたい気持ちがなくたって、心臓が動いていれば生きちゃうもん。

生きたい気持ちがなくたって、死んでなければ生きちゃうでしょ?

楽しくても苦しくても、同じ生きてる扱いでしょ。喜びの涙が流れていても、悲しみの血が流れていても同じ生きてる扱いでしょ。

ただ寝ているだけでも、脳死なんかで永遠に意識がなくっても、勝手に身体は生きちゃうし、生きてる認定されてるもんね。

 

そう考えると、「死」の条件って本当に極々僅かしかない。

 

自ら命を絶とうとしても、それすら難しくてさ。

世間やら家族やら、自分の中の何かやらに咎められて死ねないままでいる。

 死にたくて死ねないままでいることも、生きてる認定。生きてる扱いでしょ。

この世界は、死ねないなら生きるしかない、しかも、全うに!日の下で!皆と足並み揃えて!

これがまーた、とてつもなくハードルが高い。

前向きに受け入れるか、後ろ向きに受け入れるか

生死について、生きることを前向きに受け入れている人、生きることを後ろ向きに捉えている人では、もう種類が違う生き物だと思った方がいいかもね。

逆もしかりでさぁ。死ぬことを前向きに受け入れている人と、死ぬことを後ろ向きに捉えている人も違う種類だよ。

「死にたいとかいうやつは構ってちゃんだよ」って人はね、生を前向きに受け入れている人種だ。別の種類の脳みそ持ってるって思うのがいい。

生きることを前向きに、死ぬことは後ろ向きに。そう教えられる世の中だから、あなたたちは生きづらさを感じざるを得ないんじゃないかなぁ。

 

ぼくはね、生きることも、死ぬことも、応援しているよ。

 そしてぼくは、生と死どちらも前向きに受け入れている人種だ。

 

何度も言うけれど、「生きているうちにできることは限られている」。

生きているうちにできる最後のことが、死ぬことだ。

そうでしょ?

だから、ぼく死ぬことも生きることも、同じことなんじゃないかと思ってる。

世間の目がどうとか、親がどうとか、学校が、友達がどうとか、そんなんじゃなくて、自分が選ぶ命を、どうしたいかが問題なのかなって。

発達障害で世間に受け入れられない。精神疾患でどこにいても生きづらい。どう生きたらいいかわからない。

外界に答えはない。

あなたのその「死にたい」が、一番答えに近いはずだよ。

あなたの感情だもん。大切な、他でもない、あなた自身の気持ちだもん。死にたいだって、大事にしていこうよ。

生死は同一であり、どちらを受け入れるかは自由ではないかとぼくは思うよ。 

今死にたいみんなへ

死にたくて、生きたくて死にたくて、苦しい苦しい生をもがくみんな。

1度、死にたい自分を前向きに受け入れてみてね。

死にたい……どうして私ばかり、苦しい……明日が怖い、逃げたい、生きていたくない……

そうか、私死にたいんだ。

生きてるうちにできる最後の最期を選ぶほど、命を終わりにしたいんだ。

 

それを受け入れて。

怖くても、惨めで、情けなくて、みっともなくても受け入れて。

命の終わりを、望んでいる自分を。

終わるしかない命と、自分が自分を評価したことを。

あなたの気持ちを、あなたが受け入れて。そうしたら、答えが広がって見える。

 

いやだった?悔しかった?腑に落ちなかった?

それとも、納得した?

それも、受け入れてくれ。

 

難しいなら、手伝うよ。

ぼくが手伝う。だから受け入れてみよう。

そしたら、今自分に何が必要か見えてくる。

本当に「死」が必要かもしれないし、あるいは違うかもしれない。

病院にいって薬もらおうとか、ネットや近所で理解者を探そうとか、とりあえず家族とは距離をおこうとか、思うかもしれない。

自分を受け入れた先にある「死」以外の必要なもの、一体なんだろう?

死にたい自分を受け入れて、ではもし「死」以外にもらえるならば、なにが欲しいのか一緒に考えてみない?

お金かな、友達かな、安心かな?自分の居場所?アイドルのライブチケット?恋人?それとも他人の不幸とか?

思いついたもの、ぼくにこっそり、教えてくれる?

 

生きたい自分と、生きちゃってる自分と、死にたい自分を、全部1度、受け入れる。

紙に書いてもいいよ、ツイッターに呟いてもいい。声に出して叫んだっていい。

私死にたいんだな、じゃあもう最期を覚悟しているのかな、最期を覚悟したら逆に、したかったこと思いつくかもしれない。

なんでそう思うのか?

あのね、ぼくがそうだったからだよ。

死にたい自分に直面したとき、前から受け入れて飲み込んだら、今の自分ができあがったんだ。

多分みんなの「死にたい」より、ずっとずっと些細な死にたいでさ、ここに晒すのも恥ずかしいくらいの大きさなんだけどね。

死にたい自分を受け入れたら、なぜ死にたいのに生きているのか考えられるようになった。

そしたら、なんだか、生きてる。

他の人の生きる手伝いなんかしちゃって、せんせーになっちゃった。みんなのせんせーをして、ぼくは生きてる。人って死ぬまでなにが起こるかわかんないんだね。

 

生と死について、まだ答えは出てないから、これからもみんなで探したい。

死ぬまで、ぼくと考えてくれると嬉しいな。

ぼくはあなたが死ぬまで、生きるの手伝うからね。

 

支離滅裂が過ぎたけど、ぼくの「死にたい」と「生きたい」が、なんとなくでもあなたに伝わるといいなぁ。

あなたの気持ち、死にたい気持ち、ぼくはそれごと大切だと思うよ。

今日も寒いね。

明日はどうかな。

明後日はどうかなぁ。

 

ハルより。