子どもが僕らを素敵な先生にしてくれる。

子どもが僕らを素敵な先生にしてくれる。

児童養護施設、小学校、教育系大学、教育実習、療育施設などで経験した事柄を連ねる、徒然なるままにが過ぎるブログ

健康が通常であることを手に入れたいあなたへ。

f:id:harusensei:20180202205225p:plain

「おひとつ提案、手に入れるために離れてみませんか」

自分自身を大切に思う。
言葉では簡単に言えますが、これはとてつもなく難しいことです。

 

今の世の中、自身を守るよりも先に、他に守るものがある人が多いと考えます。

それは地位だったり、名誉だったり、世間体だったり、はたまた家族であったり、子どもであったり、友達であったり……。

まず守るべきものは己の命である。しかし、命を守るために守らねばならないものが多すぎると思いませんか。

 

ぼくは最近、考えるのです。

身体は健康に、生きやすく、心安らかに。そんな安寧を求める人たちへ。

ぼくがぼくとして生きてきた中に、何か解決のヒントがないだろうか。
こんな楽観的なぼく自身にも、程度は違えど息苦しいと感じる人生の時間もありました。

そんなとき、自分を生きやすくした考え方をひとつ、ご紹介しようと思います。

健康と安寧を自分で作るための、小さなひとつの提案です。

 

【自分と他とが違うことを受け入れる】

よく聞く言葉ですが、一般的に解釈されている意味とは少し違った含みを提案します。

本来、この言葉には

「自分と他人は違う生き物なのだから、考え方が違って当たり前」

とか、

「自分と他人は違う考えを持っているから、お互い思いやり合うことが大切」

など、“共存”に重きを置いた解釈が多くあると感じます。

 

さて、ここから少し先を考えてみましょう。

ぼくは普段から、「考え続ける大人で在れ」を提言し生きています。この説も、普段の印象から先を考えてみるのです。

ぼくはこの言葉を、“健康”と“通常”に着目して考えてみました。

 

自分と他人は他の人間である

→他の生き物同士、交わることが奇跡であり、交わらないことが普通である
→人同士が交わらない状態(孤独、孤立、寂しさ)が正常であり、交わる状態(家族友達同僚などと関係がある、依存先がある)が異常である。
→異常な状態は心身ともに疲弊するので、取り除く必要がある
→自分を生かすために共存しなければならないのは、他の人や外界でなく、自分と自分の精神である。
→しかし外界と接しないことは、今の世では不可能に近い
→じゃあ個人を守るために、他から少しずつひとつずつ離れるのはどうか?

 

極論ではあるのですが、ぼくは実際この考えで生きている人を身近に見ています。

自分の心身を乱すものは、絶対に生活に入れない。

例えば、めんどくさい上司の元を去る、女の人間関係をすべて断ち切る、家族や親戚との付き合いをやめる、タバコの煙のない道を選ぶ、嫌いな芸能人を見ないようにテレビを見ない、暑さ寒さ凌ぎのエアコン常時運転、買い物に出るストレスを避けたくて通販など。

世間体も、誰の評価も何も関係ない。

だって、自分の心身を健康に守るために必要ない。

むしろあると害になる。

そういうものを、勇気をもってすべて遮断する。自分から距離を置く。

 

逆に、自分に必要なもの、欲しいものはすべて全力で取りに行く。

恋人と居たいから、その時間を確保するために起業し、在宅ワークを本気でやる。

痩せたままで居たいから不必要な栄養はとらない。

風邪をひくと寝込む時間が無駄になるので、身体に気を使って健康に生きる。

 

コミュニケーションが苦手だから、自分がコミュニケーションをしなくていいように周りを固めたり、適材適所と割りきって得意なことだけ伸ばすことを徹底したり。

これすべてをこなすのは、並大抵の決意がなければできません。

ですが、どれかひとつ、自分の心身を脅かす一番の害から、離れてみませんか。

自分と他人は違います。

他の生き物なのですから、交わらないことが通常。

ひとつ、通常に戻すだけです。

 

仕事から、上司から、そのプロジェクトから、離れてみませんか。

家族から、母親から、自分の生まれた土地から、離れてみませんか。

学校から、勉強から、友達から、少し離れてみませんか。

 

心身が健康にいられる“通常”を手に入れるため、“異常”から、全力で離れてみませんか。

離れてどうするの?

離れている状態が通常になれば、自ずと答えは出てきます。

一人では怖いなら、ぼくが背中を押します。手を引いて、通常の健康へ導きましょう。

通常を求めるみんなで集まって、どこか田舎に居を構えて、ひっそりとひとつの家に住むのもいいかもしれませんね。

みんなが通常に健康を手にいれるために、必要なものを全力で手に入れるために、お手伝いできることがないかと、日々考える冬です。