子どもが僕らを素敵な先生にしてくれる。

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児童養護施設、小学校、教育系大学、教育実習、療育施設などで経験した事柄を連ねる、徒然なるままにが過ぎるブログ

ぼくらのたからばこやさん

解離性障害の彼女と出会ったあの日の話

「心ここに在らずを体感する」

ぼくは以前療育を行う施設に勤めていました。

放課後デイサービスの指導員として、発達障害児のせんせーをしていた頃の話です。

 

同じ施設の同期に、アヤノさんという女性がいました。

アラフィフの方が大半を占めていた職場において、珍しく若手で、さらに同い歳であったこともあり、お互いが支えとなりながら働いていました。

LINEを交換して相談をし合ったり、空き時間に二人で教材を作ったりして、充実した毎日を過ごしていたのを覚えています。

 

働きはじめて半年が経った頃、アヤノから急に連絡が来ました。

「どうしても心が落ち着かなくて。明日からお休みするね」

ぼくは受信時こそ驚きましたが、すぐに納得しました。

アヤノはぼくに、この頃調子が良くないこと、上司に辛く当たられていることなどを相談してくれていました。

ぼくは上司にも言うことは言っちゃう(言い方は考えますが)タイプなので、アヤノの言葉をぼくの言葉に変えて伝えていました。しかし、上司が変わることはありません。

ハルのフォローがあっても、自分一人でできないことが辛い。ハルが居なくなったら私どうやって生きたらいいかわからないと、追い込まれる彼女。

とても寂しいけれど、アヤノの命には代えられん!職場からアヤノが居なくなる覚悟はずっとしていました。

実際彼女に病院を勧めたのはぼくですし、休みの大切さを語り合っていたのもぼくなので、アヤノの「休職」の選択に安堵さえ感じました。

今は仕事忘れてゆっくり休んでね!と返信し、上司に彼女のぶんまでサクサク働きました。子どもたちと、アヤノ先生早く帰ってくるといいねぇ、と話しながら。

 

しかし、アヤノはもう戻っては来ませんでした。

彼女の荷物をぼくがまとめ、家まで届けることになりました。

 

アヤノの家につくと、疲れきった表情で彼女が出てきました。

お礼もしたいし、色々話したい、と言われ、そのまま食事に。

お休み中のことや趣味の話など会話をしていると、かつての笑顔が戻るアヤノ。突然黙ったかと思うと、そこで

「私精神疾患で、解離性障害っていうんだって。あとアスペルガーも見つかったの」

と打ち明けられました。

 

解離性障害という名前に、ぼくは聞き覚えがありました。アスペルガーは言わずもがな知っていましたが、大人に実際打ち明けられるのは初めてでした。

解離性障害について詳しく教えてくれる彼女の話を、うんうん、とたくさん聞きました。

上司との関係がひたすら辛かったこと、これからの治療のこと、今までフォローしてくれてありがとうというお礼。そのどれもが、彼女の瞳から雨を降らせました。

 

思い返してみると、上司と話したあとに暗い顔をしていた彼女。トイレから出てきたら目を真っ赤にしていたあの日。解離が始まり子どもへの接し方で悩み、明日も憂鬱だという言葉。ぼくとの会話の途中にふっと虚空を見つめ、呼び掛けても返事のなかったこともありました。

もっとぼくが解離性障害について理解があれば、早く気づいていれば、アヤノをもっと早く休ませることができたかもしれない。

改めて、自分のなかの無知を怖いと感じました。

きっと半年の期間で、アヤノの心はどんどん削られていたのであろうと、そこだけは簡単に推測できました。

 

ぼくたちは、同僚から友達に関係の名前が変わるだけで、他にはなにも変わらないよと抱き合って、別れました。

 

それからもう2年?かな?長い月日が過ぎましたが、今でも連絡を取り合う仲です。

アヤノの病気はまだまだ寛解には遠いようですが、少しずつ少しずつ何かが動いているよと話しています。

ぼくも職を変えましたし、アヤノは結婚するとのことで。生きているうちは、気づかぬとも何かがどこかで変わっているのですね。

そのうちご飯でも行きたいな。アヤノの体調のいいときに、旦那さんも一緒に!

 

無知を知り、未知を知りたいと思えた。彼女の存在にぼくは感謝と敬意を忘れません。