子どもが僕らを素敵な先生にしてくれる。

子どもが僕らを素敵な先生にしてくれる。

児童養護施設、小学校、教育系大学、教育実習、療育施設などで経験した事柄を連ねる、徒然なるままにが過ぎるブログ

ぼくらのたからばこやさん

この言葉の届く距離に居ること、皆がぼくの支援者である。

「精神疾患も発達障害も年齢も性別も関係なく、あなたがここに居てくれる事実がぼくへの最大の支援です」

最近ドライアイに悩まされているハルです。
ドライアイが加速してコンタクトも入らないし、長時間の作業もしんどい……ドライアイを治したとしても、眼鏡がなければ0.05程しか見えていない目の悪さです。
全然見えてねぇ!

 

ドライアイに効く目薬を調べている最中に、ふと気づいたのでここに記していきます。

 

 ぼくが日常を不便なく生きていられるのは、「眼鏡」や「コンタクト」の支援を得ているからに他なりません。裸眼で生きていればすぐそこまでも見えない。乱視もあるから近くも危うい。なんて不便なんだ。

 

歴史の長さもあいまって眼鏡ってほんとすごいんだけど、さらにコンタクトはすっごいと思う。支援していることすら気づかせないアイテムです。メイクやオシャレの一部として使われるものもありますし、こいつぁやりよる。いいアイテムだ。

何にせよ、自分の不便を補えるような支援をいただけるのは、本当にありがたいことですねぇ。


見ることが不便な方には眼鏡を、歩くことが不便な方には車椅子を、聞くことが不便な方には補聴器を。

 

 じゃあ、ひとりで心を保つことが苦手なぼくには?

 ひとりでいるとなんだかそわそわして、何かしていないとキョロキョロしちゃう。うおおおおお落ち着かない!そんな落ち着かない心を「なんだか不便だなぁ」と感じるぼくには、何が支援してくれてるのだろうか。

 

普段意識しないけれど、音楽はひとつ支援アイテムだなぁ。書類関係中はいつも何かしらを流して、ご機嫌に口ずさみながら仕事する。本や漫画を読んでいる間は、集中しやすい。ひとりだとやはりそわそわするけど……
あとは子どもたち。ぼくに全てを教えてくれる、支援者だ。

 

ぼくの不便たちは、外部から見ても違和感のないもので支援されている。端から見たら所謂「健常者」でも、内部に不便や不足、不安を抱えている方はたくさんいる。よく調べたり考えたりしたら、ぼくも疾患があるのかもしれないし、障害名がつくかもしれない。

 

自分の常識や当たり前に捕らわれるのは、優しくない。自分に全力で不動の心を持つのは一見強いかもしれないけど、優しく在りたいぼくにとっては目指すべき場所ではないなぁ。優しく、優しくありたい。

 

熱く率いるリーダーも憧れるけど、それは誰かにお任せして。


ぼくは帰る故郷のように、優しく、優しくなりたい。
ぼくの心が、ぼくの命が、誰かの不便を支援するものになりたい。
ぼくの心が、ぼくの命が、誰かの不安を癒せる存在でありたい。

 

ぼくが優しくあるためには、誰かが側にいてくれなければ。
ぼくの側に居てくれる人はみんな、ぼくへの支援をしてくれている。
側に居てくれることが、ぼくへの何よりの支援だ。
いつもありがとう。ぼくも早く何か返せるようになりたいなぁ。

 

あたたかく、優しく、唯一で、最大の支援をありがとう。


その気持ちを常に忘れずに、この先も生きていたいと強く思った夜でした。

支援の形は、様々なんだなぁ。