「命の厚みがこの手のひらに在ったことを、ぼくは生涯忘れないだろう」
病気の治療や療養を、見守る側の心
何かいつもと違うと、気づいたのが遅かったのかもしれない。
わかったときにはもう真っ直ぐに歩けず、食事もまともにとれない状況だった。
日につれて身体は痩せて、目の下のくまが酷くなっていく。声も出せずにもがく彼は、痙攣と呼吸困難を繰り返す。
なにもできずに見守るしかないぼくは、自分の無力さや命の終わりを痛感する。
彼の体力が尽きるのを待つかのような、死への時間を待つだけのような、残酷な時間に思えた。
病気になって弱っていく命を見ていると、
「まだ諦めないで、がんばれ、がんばれ」って気持ちと
「もう大丈夫だよ、ゆっくり休んで」っていう気持ちとが
交差して
浮かんでは沈んで
荒立って、平たくなって、また荒立って。
そんな毎日を過ごすことになる。
一番辛いのはもちろん本人だが、近くにいるぼくも、確実に何かが減っていった。
でもぼくはそれと同時に、何かが増えていくのも感じていた。
病気の治療方針を、決定する立場になったとき
命の終わりを決めるのは、生まれついた運命だと思っている。
しかし、命の終わりを決めるまでの過程は、本人の意思や、周りの支援、医療や看護に選択権が与えられている。
彼は、自分の命に終わりを迎える選択ができなかった。
声はなく、意識もあるかわからない。
ただ、残りの時間が少ないことだけを、その身体全体を震わせることで伝えていた。
彼が決められない以上、周りにいるぼくらが彼の命を残りの時間どう在らせるのか、決定する必要があった。
ぼくらに託されたその「選択」は、命の終わりをどう迎えるかという「決定」。
本当は、彼の声が聞きたかった。
彼の意思に添いたかった。彼の願いを聞きたかった。
でも、それは果たされない。
彼の声が聞こえない以上、汲み取るしかない。
ぼくが、決めなければ。
ぼくの決定を、彼は命の終わりにどう思うのか
ぼくは彼の命の残りの在り方を決定した。
在り方を決め、ぼくの思う最善を施した。
彼がどう思っていたかはわからないが、ぼくにとっての精一杯で、消えゆく命をあたためた。
やはり、逃れられない。
彼が、命の終わりを迎えて、
ぼくも、彼の命の終わりを迎えた。
ぼくのした決定が、正解なのか間違いなのか、これから先わかることはもうない。
でも、きっと、頭のいい彼のことだ。
「あんたにしちゃあ、よくやった」
と、飛沫を上げて、笑ってくれると思う。
彼の身体に、別れを告げた。
帰りの道には、赤い花が首から落ちていた。
それを拾って、大切に包んでも、形を保っていてはくれなかった。
花びらがひとつずつ、ひとつずつほどけて、真ん中の黄色が手のひらに残った。
抱き締めた身体。重み。彼のすべて。
彼の命の厚みが、他でもないこの手のひらに在ったことを、ぼくは生涯忘れないだろう。
彼が残してくれたものは、
次の約束と、この経験だ。
黄色い、あたたかいものが、
ぼくの手に残った。
ねぇ、また遊ぼうね。
また、遊ぼう。
おやすみ。