「社会復帰」という言葉を問う
病気や障害で休養中、療養中の方、引きこもりや不登校などがよく目標にされている「社会復帰」。
今回、この「社会復帰」とい言葉の意味と状態について、生の声を聞かせていただきました。
ぼくのTwitter(@harusennse___)で「みんなの思う社会復帰って何ですか?」との質問を投げかけたところ、たくさんのお声を頂戴しました。
みんなの思う「社会復帰」ってなんですか?よかったらリプで教えてください。#精神疾患 #不登校 #ぼくらのたからばこやさん #発達障害 #心理学 #社会学
— ハルせんせー (@harusense___) 2018年10月16日
頂戴したリアルの声、ここにまとめます。
社会復帰を目指す当事者の方も、周囲の支援者の方も、この声をぜひ参考にしてみてください。
「みんなの思う社会復帰って何ですか?」
ぼくのツイートに直接リプライをくれたみんな、ありがとう。
社会復帰に対して抱いているイメージにいくつか傾向があることわかったので、その傾向ごとにまとめて紹介していきますね~。
①労働をして経済的に自立している状態
- 作業所とかではなくて、障害者雇用枠でもいいので、一般就労が出来たら、自分は社会復帰出来たと思えるとおもいますー。
- 全額でなくても、生活費のうち幾ばくかの労働で得た賃金を得ること。
- 週5の正社員で働き、自分の分の生活費が賄えるようになることです。
- 現実的に言うと、お金を稼ぐ生活が続くことでしょうか。
- うーん、自分が自分らしく苦しくない様に働いたりして生活する事ですかね。働いたり生活して生きるって社会だと思うし……。
- 私としては、良い意味で社会の歯車になることですね。能動的かつコンスタントに。継続を実感出来て初めて安心できるところがあります。
- 僕にとっては友達となんの躊躇もなく遊べること、かなぁ。要は使えるお金があるかないかですね。
- 一般就労する事です。フリーランスでもいいので自分の技術を提供してお金が発生することをするのが私の社会復帰の定義です。
②人と関われる居場所がある状態
- 職場、家族、友人……誰かに必要としてもらえること。
- 社会に自分の存在価値を認めてもらえたと思えること。
- 人の輪の中で生きることではないでしょうか。
- 学校とか、会社とか、地域の公民館とかに集まってやる活動とか、習い事とか、「家族以外の何か」で人と直接会うコミュニティ?に属して、「属してる感」みたいなものを感じること。
- 家庭以外に定期的に通える場所がある事、ですかね。私の考える社会復帰であり、当面の目標です。
- 人に合わせる為、興味のない会話にも笑顔で頷けること。人に流される為、自分という存在を限りなく薄くできること。
- 今は社会復帰したけど、正直今でも社会復帰の定義はよくわからない。ただ『誰かと関わっても良いかも?』と思えるようになったのが社会復帰の第一歩だった気がする。
- 人と関わりを持ち人を支えたいという気力が体と精神で比例するようになったらかなぁと思います。
- ここ(社会)に居ていいんだと思えること、そして生きていく道すじが見えることと考えます。
③心身の健康が確立された状態
- ご飯がおいしいと感じること。
- 悩みもない、ストレスもない、壁のない社会に行き着いた時。
- ふかふかのお布団で寝てうれしいこと。
- 苦手だったり、今までできなかった事をやろうと思った瞬間の気持ちだと思います。
- 人と関わり合いになるのに恐怖心や抵抗を感じなくなったらだと僕は思ってます。
ハルの考える社会復帰
ぼくが抱く「社会復帰」のイメージは、前項の《②人と関われる居場所がある状態》に近いと感じています。
社会といものは、一人では成り立たないものだと思っているからです。
人が複数いて、その「人が複数で生きている状態」が「社会」ではないかと考えています。
ですから、金銭的に自立していなくても、体や心が健康でなくても、人と生きている状態に実感があればそこは「社会」と言えます。
ぼくの考える社会復帰の定義は、「自分がもつ社会復帰のイメージに、“自分が”則していること」というものです。
ぼくの持論では、属する社会が必ずしも「自分の安心する居場所」である必要はありません。
なんとなく一緒にいる知り合いや、自分を害してくるような上司でも、「人と関わりがあれば」、ぼくは社会と呼ぶことができると、先ほどお話しましたね。
もちろん、自分の属する社会が安心できる居場所であることに越したことはないのですが……。
人と関わって生きている状態ならば環境の善悪は問わず、ぼくはあなたも社会の一員と呼べると考えています。
社会復帰とは、「自分がもつ社会復帰のイメージに、“自分が”則していること」という定義から、社会復帰には様々な形があるといことに気づいてほしい気持ちがあります。
自分が「あの人は社会に貢献していない」「あの人は社会復帰の必要がある」と思っていても、当の本人からすればもう「社会に属している」なんてこともザラにあるということです。
そして、自分の社会復帰と誰かの社会復帰は意味合いが違う、ということに気づいてほしいのです。
子どもが不登校だからといって、その子は社会に属していないことになりません。
あなたが無職であるからといって、あなたは必ずしも社会に属していないことにはならないのです。
社会との関わり方は、個々で違うことが当たり前なのです。
重い障害をもっていても、家族やヘルパーさん、院内の友達などと関わりがあることで、社会からの疎外感を持っていない人もいるはずです。
胸のうちでは誰も信じられなくて「ここには自分の居場所がない」と感じていても、学校や会社という社会に属している実感を持っている人はいるはずです。
体も心も健康で、安定した給付金や支援金がもらえているので、「俺は人と関わらないで生きていきたい」と社会に属することを目指さない人もいます。
前項①②③のすべてを満たしているのに、社会に属せていない、社会から疎外されていると感じている人もいます。
人それぞれ、自分の中に大まかな「社会参加」のイメージを持っていて、その定義の中に自分が当てはまっていることが社会に属している実感になるのだと思います。
ここでぼくが皆さんに考えてほしいのは、二点。
「自分の思う社会復帰を周囲に押し付けてしまっていないか」という点と、「自分の社会復帰の定義は厳しすぎるのではないかと考え直してみてほしい」という点です。
社会は、どこにでもある。いくつでもある。
自分で社会を作っていくことも可能なんだって、ぼくは思うんです。
ハルからあなたへ
あなたや、あなたが支える人の考える「社会」に、自分の納得のいく「復帰」ができるよう、ぼくもお手伝いしたいなぁと思っています。
でもね、こうしてぼくとお話している状態がもう既に「社会復帰」なのだと、ぼくは思っているんだよ。
ぼくと、あなたで、もうふたりだよね。
ふたりいれば、社会が成立するって、ぼくは思っているからさ。
ハルせんせーと話そう、ってメッセージを送ってくれている瞬間、あなたは既に、ぼくの社会の一員として動き出していることだけ、覚えておいてね。