「我慢の強要は、何も生み出さないのに、無くなることがないよねぇ」
かつて子どもだった皆さん。
大人になると、我慢しなければならんことが増えていくと思いませんか。
今現在子どもの皆さん。
子どもって我慢ばかり!と思いませんか。
ぼくは子どもの頃、自由に稼げて自由に生きる場所を選べる大人が羨ましくて仕方ありませんでした。
両親に「子どもは仕事がなくていいなぁ」と言われると、じゃあ学校と代わって!!!と言っていました。
別に学校嫌いじゃなかったけど、子どもという立場に不自由を感じることが多くて。
それに比べて大人は自由に生きているんだという先入観と憧れ、羨望が常にありました。
大学時代、いざ自分が成人してみると。
無邪気に子どもはいいなぁと思うことも出てきました。
あんなに憧れた大人になれたのに、自分はあまり自由になっていない現実に疑問がありました。
大人は自由である、という誤解が消え、一体いつ頃自由を感じられるのかと不安になりました。
大人でも子どもでも、我慢する物事が変わるだけで、ずっと不自由なのだと落胆したこともありました。
そんなとき、教育実習がありました。
ぼくは母校に受け入れてもらえて、1ヶ月間の実習が決定。
子どもとして通った場所に、大人として通えることが決まったのです。
あの時我慢していた様々な思い出が蘇り、記憶と心のなかで、子どもの頃のぼくがあちこちを痛がりました。
校庭にも、教室にも、通学路ですら、あの頃のぼくが痛い痛いと泣くのを感じていました。
でもそんな心の子どもを、
我慢の痛みから解き放ってあげられたのは、他でもない大人の自分だったのです。
自分が先生に言われて嫌だったことは、この子たちには絶対言うもんか。
大人ってズルいと思っていたから、ズルい大人をこの子たちに見せないで過ごそう。
我慢したくないのが当たり前なんだし、小さなことは許して、それすら楽しむことに決めた。
そんな風に実習を過ごしていくうちに、なんだかあの頃の自分にも、我慢を強要しない大人で居てあげることができたような気がしました。
実習先の子どもたちは本当に可愛くて、優しくて、元気で豊かで、自由に見えました。
あんなに不自由だったあの頃の自分も、大人から見たらこんなふうに自由に見えていたのかもしれません。
逆に、今子どもであるこの子たちも確実に何かを我慢して生きているのだと、教育に深みを持たせることもできたかもしれません。
実習はとても楽しくて、忙しくて、あっという間に1ヶ月。
ぼくの子どもに対する気持ちが固まった、充実した時間となりました。
こんなに楽しそうに実習やる子は初めてだと、先生方に笑われたりもしました。ひとえに、指導教官の先生のおかげですけどね。
不自由だったあの頃の自分を、解き放ってやれた気がしています。
「我慢して、いいことあるんですかね」
ぼくの好きな漫画に出てくるひとつの問いです。
この投げ掛けに、主人公は「ないな。」と答えます。
ぼくも、そう思いました。
我慢して、良いことなんてありません。
しかし、時に我慢が強制される場面があるのは確かです。
大人も子どもも、何かを我慢して生きているのだと理解する。
それだけで、あの頃の自分や、今の子どもたち、両親や教師を許し、自分を癒せる時もくるかもしれませんね。
そう、ぼくのようにね。