子どもが僕らを素敵な先生にしてくれる。

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児童養護施設、小学校、教育系大学、教育実習、療育施設などで経験した事柄を連ねる、徒然なるままにが過ぎるブログ

ぼくらのたからばこやさん

子どもの金銭感覚とお小遣い。父の働く姿に温もる100円玉の価値

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「父のボールペンに憧れた、あの日のぼくが学んだこと」

子どもに渡すお小遣いっていくら?金額に悩む?

「あれほしい!買って!」


子どもに言われがちなワードです、よくある、よくある。

 

お金は大切です、それを子どもにもわかってほしい。

働くことは予想以上に大変です、それもできればわかってほしい。

 

あなたは子どもにお金というものを教えるため、どんな方法をとるでしょうか。


ほんの一例として、ぼく自身のお金にまつわる体験をエピソードとしてお話したいと思います。

お金の価値を実感する、数字苦手幼児ハルのエピソードです。

お付き合いください。

 

働く父の胸元にある、三色のボールペンの「ねだん」

ある日、4歳のぼく。

母に連れられ、父の職場へ行くことになりました。

 

目的は覚えていないのですが、当時のぼくにとっては

「はじめておとうさんのおみせにいく」

という大きなイベントがありました。


初めて父の働く姿を見られる!という感覚ではなく、単純に、お店にいるお父さんに会いに行く!という感覚でした。

 

 


その頃の父は、若手ながらも店舗で現場を任されていました。


父はぼくの姿を見つけると足早に駆け寄り、いつもより少しだけ照れて笑って、いつもより少しだけよそ行きの声で


「おぉ、ハル、いらっしゃい」


と言いました。

その時の父をよく覚えています。

 


ぼくが初めて見た働く父は、腰元にタオルをぶら下げて、胸元のポケットに三色のボールペンを入れていました。

黒と青と赤のインクが入った、皆さんもご存知のよくあるアレです。

それがとても輝いて、まるでヒーローの変身ベルトのようにかっこよく見えました。

 

父は、

洗濯物のなかに見つけたことがあるだけの“お仕事用の服”を着て

お店の人しか入れない“お店の人スペース”にいましたが

メガネの奥はいつもと変わらない、凛とした父の瞳でした。

そしていつもより少しだけ増して、かっこいい父の姿でした。

 

 

 

 

別の日。


ショッピングモールでガチャガチャをやるために、母は100円玉をぼくに握らせてくれました。

 

当時4歳のぼくは、お小遣いをもらってはいませんでした。

自分で買い物をすることもなければ、お金に触れる機会もありません。

特段興味もなかったし、両親のおかげでお金を気にするタイミングもありませんでした。

 


しかし、

お店にあるものは勝手に触らない、ほしいものは買うためにレジに持っていく、お金を払わないと手に入らない、お金を稼ぐには働く必要があるなど……


そういう、「お金を使う」「お金を稼ぐ」という概念は教わっていました。

 

また、お店のものには大体数字がついていてそれを「ねだん」と呼び、相応するお金を支払う必要があることも知っていました。

 

 


数字苦手のハル少年。当時4歳とちょっと。

覚えたての数字、「100」。

 

 

数字が苦手なぼくは、100まで数えるのに一苦労です。

100ってもんは、とにかくたくさん!

とってもいっぱい!すごく多く!

そんなイメージでした。

 

ガチャガチャを1回やるには、100円必要で、それはつまり1円を100回数えることで……

とても大変な100だから、このお金でとびきりいいガチャガチャを選ぶぞ、とはりきって歩くぼく。

 

 

 

とある雑貨屋の前、文房具のコーナーが視界に入りました。

 

ふと甦る記憶があります。

 

これ知ってる。

父さんのやつだ。

 

そこに陳列されていたのはあの日、働く父の胸元にささっていた三色ボールペンです。

 

それが猛烈にほしくなったぼくは、おもむろにボールペンの「ねだん」を見ました。


小さな白い紙に印字された数字は、「150」とありました。

温かい100円玉と、冷たい50円玉を合わせて


三色ボールペンについていた「ねだん」は、「150」。

ぼくが握っていた銀色の小銭には、「100」と書かれています。

 


100までの数字は知っている。

1も0も5も、ひとつずつなら知っている。

それが並んだら大きくなることも、もう知っているよ。

15は、1よりも5よりも大きくて、同じ数字を使っていても51はもっと大きい。

数字は0~9があって、9の次は10で、99の次は100。

 

 

じゃあ、150は?

 

 

頭のなかにない数字ということは、100よりももっとたくさんなんだ……!?

 


当時のぼくではここが限界です。

(当時4歳、小数点やマイナスの概念はまだありませんでした)


でもなんとなく、

今手のなかにあるお金では、この三色ボールペンが手に入らないことがわかりました。

 

 


一通り考えているぼくの側で、すべてを察した母は言いました。

 

「150は、100と50を合わせた数字だよ」

 

ぼくが小さな手で落とさないよう、強くぎゅっと握っていた100円玉。

 

母はお気に入りのお財布を開いて、少しチャリ、と音を鳴らしたあと、穴の空いたお金をぼくの100に重ねました。

そう言えばあったかも、くらいの認識のあまり触ったことのない銀のお金でした。

母の言葉から、これが「50」のお金なんだということはなんとなくわかりました。

 

母の顔を見て、それからまた、手のひらの上を見ます。


母は優しい声で言います。

 

 

「100と50で、合わせて150。ひゃくごじゅう。150円だね」

 

 

手のひらに並んだ150円。

握っていた100円玉はぼくの体温を吸って温かくなっていて、財布から出されたばかりの50円玉はひやりと冷たく感じました。

 

 

今も仕事中であろう、

あの日見た父の姿が過りました。

 

 


お父さんが毎日働いて稼いだ150円。

お母さんがぼくの手のひらに乗せてくれた150円。

ぼくのほしくなったボールペンを手に入れるための150円。

大切に積み上げて数えてきた100に、さらに50を重ねてできる150円。

大事に握っていた100円玉。

お母さんが新しくくれた50円玉。

合わせてできる、150円。

 

 

ぼくが苦労して数えた100よりももっと、もっと大変な150。

お金としての150円も、きっと大切で大変なものに違いない。

 

 

 

お店のレジで、ボールペンを店員さんに「これください」と渡しました。

「150円です」と、目の前に置かれた青いトレーにお金をおきました。

 


回収される150円。

それと交換で、手に入ったボールペン。

父と同じように、凛と働いている店員さんから渡される、父のものと同じボールペン。

父とおそろいの、150円のボールペン。


150円と交換した憧れの三色ボールペンは、さっきの100円玉と同じように、ぼくの手のひらのなかで温かくなっていきました。

お金の価値を知るには、わかりやすい体験から

家に帰って、早速胸ポケットのある服に着替えるぼく。

 

ボールペンをお店でどう使うのかわからなかったので、胸元にあるだけ。

でもぼくにとって、父さんと同じボールペンを父さんと同じように持っていることだけが大切でした。


先程買った150円のボールペンを自慢気に胸にさし、家にあるものを机に並べてお店やさんごっこです。

 


面倒がらず付き合ってくれる母や兄弟相手にぼくは


よそ行きの声で「いらっしゃい」と言いました。


あの日の父を真似て、「いらっしゃい」と言いました。

 

 

 


夕方、家に帰って来た父にも見せると、

「俺の真似やん!」

と笑われました。


お店で見た父とは少し違った、それでもどこか同じような、かっこいい照れ笑いでした。

 

 


ぼくは憧れの三色ボールペンを手に入れると同時に、お金の価値を知ることになったのです。


働く人の姿と、お金を稼ぐこと、お金を使うこと、物を手に入れることがどういうことなのか

ぼんやりわかったハル少年なのでした。