「癒されそびれた子ども心を、1つ残らず抱きしめる!」
今生きている人は、誰もが「子ども時代」を過ごしてきました。
今子どもであるあなたにも、もっと幼い時代があったのです。
記憶の有無、質や期間は人それぞれなのですが、「子ども時代」を過ごさず大人になる人間は居ないでしょうね。
「子ども時代」を経てきたぼくたちは、心にインナーチャイルドというものを持っています。
今の自分を形成するにあたって消費した時間が、インナーチャイルドを形作ります。
子ども時代に癒されなかった傷や、満たされなかった気持ちなどをそのまま引き継いで、心のなかでにいるインナーチャイルド。
ぼくは精神疾患や発達障害に関係なく、誰のなかにも存在すると思っています。
健全な精神の成長には、甘えたい、愛されたい、許されたいという欲求は子どもの頃にある程度満たされておく必要があります。
しかし現代日本では、すべてが満たされることなく大人になった大人がたくさんいる。
ぼくはそれを肌で感じています。
ツイッターには叫びが溢れ、学校にも職場にも嘆きが聞こえます。
その叫びはすべてが現状への不満ではなく、過去を精算したい満たされぬ思いである場合もある。
満たされることのない記憶が、誰しものなかにインナーチャイルドとして残り続ける。
傷として、思い出として、形はそれぞれでありながら、確実に在り続ける。
死ぬまで外に出る機会もなく、癒される時間もなくさまよう子どもの心がいくつあるのかと思うと、救いの案を考えざるを得ないのがぼくの性分です。
大人の外にいる現在の子どもは、当たり前に愛しく思う。
そして、大人のなかにいる子どもも、ぼくにとっては変わらず愛しい。
持論でしかありませんが、誰もにあるインナーチャイルドを癒しながら成長を助ける、そんな先生にぼくはなりたい。
大人になった今だから言える。
ぼくにもきっと、癒されていないインナーチャイルドがいる。
でもその子どもを上手にあやしながら、たまに甘やかして、撫でて構って、そうして生きている。
自分でインナーチャイルドを癒していければそりゃいいのだけどね、それは案外難しい。
そういうときに、周りを頼る。
頼れる人を、側におく。
側にいてくれる人を、頼れる自分でいる。
ぼくにとって「頼れる人」は、パートナーであり、両親であり、子どもたちであり。
そしてぼくに言葉や時間をくれるあなたです。
誰に頼ったっていいんですよ。
誰に甘やかされてもいいんです。
その「誰か」のなかのひとりに、ぼくを入れてもらえるととても嬉しい。
インナーチャイルドごと、あなたをすべて甘やかす用意をしてお待ちしております。