「理由は多々あれど、結論のポイントは“比較的”と“合理的”」
小学生時代、鉛筆のみの使用がルールではありませんでしたか?
学校には様々な「してはいけません」が存在しますが、小学生に課せられがちなのはこのルール。
シャーペンは持ってきちゃいけません。
鉛筆を使ってください。
さて、このルールで守られているのは、一体何なのでしょうか。
安全か、衛生か、はたまた秩序か……。
ハルせんせーが勤めていた小学校でも、シャープペンシルの使用・持ち込みが実際に禁止されていました。
(ぼくの時代だと、“高学年からは持ち込み可”など制限付きで使用できる場合もありました。)
便利なシャープペンシル、でもね。
実はね、禁止する学校にも理由があるんです。
大きく分けて4つ、理由を書き出してみました。
「シャーペンを禁止にする理由」というよりは、「シャーペンよりも鉛筆を使って教育をしたい理由」を挙げていきます。
あくまでも、ぼくの勤めていた学校で、ぼくの周りが考えていた教育観です。それとぼくの主観。
地域によっても、価値観に大きく差が出ます。
もちろんだけど、教育において学校には「合理的配慮をする」という選択肢があります。
絶対シャーペンがいい!とか、シャーペンのほうが私にはピッタリだ!なんて声は挙げていくといいと思います。
子どもの意見や保護者からの意見は、各学校にきちんと伝えてくださいね。
一応、大人たちがしっかり考えて禁止にしているんだってこと、ここに記しておくね。
先生たちからのお願いとしてちょっとだけ、聞いておいてもらえたら嬉しいです。
鉛筆推し教員、国語的観点から書字指導の利便性を説く
筆圧がなくても比較的書きやすいことが、ぼくのなかでは鉛筆推し一番の理由です。
握力の低い子どもたちでも扱いやすく、柔らかい芯を使っても比較的折れにくいです。
軽く、摩擦が適度にあり、指でも握りやすいので、小さな彼らにとって「書くこと」に集中しやすいアイテムなのですよ、実は。
初めて「書く」ことを習う子どもたちに優しい筆記具です。
また、安定した書字の姿勢が比較的取りやすいことも大切です。
部品が少なく、書くことに特化した鉛筆の形は、姿勢の定着・指導をするのにも一役かっています。
小さく柔らかな子どもの手では、少しの揺れや重みでバランスが崩れ、集中力や体幹に作用してきます。
また、シャーペンと違い太さと形がほぼ統一されているので、長年研究された「人間の身体の構造として安定しやすい書字の姿勢」を教わるのに、一斉指導でもわかりやすいです。
そして、芯が太いので、とめはねはらいが比較的見やすいのも嬉しい。
書写はもちろん国語の時間は、古来から伝わる字の文化と形を学んでもらう時間でもあります。
古来、字は筆で書かれていました。
毛筆から硬筆に変化した今も、美しい字は形や各画のバランスが命です。
「正しい形」を教えるのであれば、とめはねはらいのやり方もぜひ教えたい。
そう考えると、太さと強度のある鉛筆の芯は重宝します。
一方で、
今現在、国語教育も変化と進化を繰り返し、「とめはねはらい」については重視しない教育が推奨されつつあります。
個人的には、「とめはねしてないと△つけるよ~」としっかり明言した漢字のテストと書写以外では、字の形を気にしない教師でした。
字の形がわかっていることを知りたいテストでは△つけるけども、読めてる、書けてるがわかればいいのなら別にいいのでは……というのが持論です。
色んなせんせーがいます。
鉛筆推し教員、集団生活の観点から生活指導の合理性を説く
率直にいいます。
比較的、デザインが統一されている鉛筆。
持ち物からわかる貧富の差、デザインの稀有さからくる、いじめやマウントが比較的回避しやすいです。
これに尽きます。
また、一斉指導授業中のよそ事を防止する効果は絶大です。
教師には、40人の子どもたちを常に的確に統率し、引率する義務と責任があります。
一斉指導の形態をとっている小学校教育は、子どもたちが聞いているか聞いていないかを一人ずつ確認する時間はありません。
そんななかで効率よく、質の良い教育を与えるのに欠かせないのは、なにより“子どもたちの集中力”です。
シャーペンはノック音など音が鳴りやすい。
動く部分が多く、意識が逸れやすい。
故障による作業の中断を発生させやすい。
部品が分解でき、余所事を誘発しやすい。
子どもたちへの刺激を最小限に抑え、書くことに意識を集中させたり、教師の声に集中してくれる可能性を少しでも高めたりするために、シャーペンより鉛筆がありがたいんです。
先程も申し上げましたが、筆記具故障による作業中断を防止できるの、ほんとに、重要で。
これがないだけで、クラス全体のリズムが整いやすいです。
そして、窃盗、器物破損が比較的防止できること。
こちらも率直にいいます。
非行、いじめの回避や防止に、シャーペン禁止のルールは大きく役立つ場合があります。
羨ましいものを窃盗せず、正規ルートで手に入れやすいのは安価の鉛筆です。
壊れにくく、パーツが少ない鉛筆は、破壊先として選択肢に入りにくいです。
あくまでも“比較的”ですがね……。
鉛筆推し教員、身辺管理の観点から日常生活の簡易化を説く
シャーペンは鉛筆に比べて部品が多く、メンテナンスに手間がかかります。
一方鉛筆は、特に特別なメンテナンスがなくても基本的に使用感が変わりません。
学校でも、削れば使える鉛筆。
芯を入れ替えることもしなくていい。
部品を無くすこともない。
発達途上で手先が不器用な子や、無くしもの忘れ物をしやすい子などには特に鉛筆をおすすめしたいです。
無くしものが減り、壊しものが減り、明日の準備の手間も、ひとつ減るよ。
鉛筆なら、休み時間の5分間のあいだにちょっとゴリゴリやればオッケー!
(※学校で鉛筆削っちゃダメだよ!という学校もあるらしいがうちは違った)
そして鉛筆は比較的安価で、お道具箱にストックを置いておくことも比較的可能。
無くしたときに補充するのにも、1本あたりの単価が低いほうがいい。
無くしちゃったけど、お母さんお父さんに頼みにくい……なんてADHDの子もいたから、尚更鉛筆を推してしまうハルせんせーです。
鉛筆推し教員、心理・発達の観点から感覚を守るために説く
ぼくが鉛筆(特に2B以上)を一斉教育に推している理由として、「感覚過敏への配慮」がとても大きいです。
また「集団の集中を妨害しない」「音を出す癖のある子を敵意の的にしない」のにも、比較的鉛筆がおすすめです。
シャーペンはノック時に音が出やすく、書字の際にもものによっては独特な音がなります。
感覚遊びとしてノックが癖になると、周りの反感をかいやすいんですよ。
そのイライラは瞬く間に広がり、集団に居づらい元凶となります。
カチカチうるさい!と言われても、一度癖になってしまえば直すまでに時間がかかります。
気になる子はずっと気になり続けイライラし、カチカチする子は直るまで何回も何回も、周囲に敵意を向けられるわけです。
これ、どうにか防止したい。
感覚過敏の子にも、音を出す癖のある子にも、お互いに「コイツ嫌だな」と思い合ってほしくない。
教師ハルの勝手な思いです。
「んな大袈裟な!」と思われるかもしれませんが、ほんまの話です。
あるんです、集団には。
集団心理が働くと、ひとりのイライラや不満が全体に大きく広がります。
カチカチしたいその子には自覚も悪気もないのに、よくわからないまま周囲に敵意を向けられるんですよ。
しかも、特に話したことのない子や「あなたの席までカチカチ聞こえます!?」という離れた場所の子にまで言われる始末です。
これを防止するために、ぼくは柔らかい芯の鉛筆が最適だと考えています。
今のところね。
集団生活において、雑音や生活音への配慮は欠かせません。
集団を率いる教師にとって頭を使うべき場所は、こういうときです。
全員が100%過ごしやすい場所は、この世にありません。
ぼくら教師が考えられる最高の策は、70%以下にならないためにどうするかなんです。
なにをしたら全員が喜ぶかを考えても、きっと答えはありません。
ぼくが考えるのは、「何をしたら全員が“まぁ許せる”と思えるか」なんです。
学級にはいろんな子がいます。
30人~40人、人が集まるわけですから、千差万別の感覚があります。
集中しているときに隣でカチカチされたら嫌だな、という子がいます。
一方で、集中したいときはカチカチやってると落ち着く……という子がいます。
はたまた一方では、なーんにも気にならない!という子もいます。
全員が“まぁ許せる”と言える状態は、どんな状態か?
ぼく教師時代に出した答えは、
「音の出にくい鉛筆を使用して極力雑音を減らし、不快になる人数を減らすこと」
でした。
100%は快適に生きられないなら、全員が70%であれるように配慮、防止をしたいものです。
……なんだか、書いてる今も打算的に見える。
あーあ、やっぱり集団は難しい。
教師のカリスマ性って、いうたら特に大事なのかもね。
鉛筆じゃなくたって……音が出なくて壊れないシャーペン使ってたらいいのにね!(笑)
個々への合理的配慮を瞬時に叶えられる教師になれるよう、考えることは放棄せず生きたいな。
ルールの理由を聞くのはルールを守る側の“権利”だ!という余談
自分が納得いかなかったり、なぜ?と疑問を抱いたルールや校則には、質問をして理由をしっかり聞くのをおすすめします。
理由を聞いた上で、守るかどうかを選べばいいんです。
理由を聞いても納得も妥協もできない場合、変えるにはどうすればいいか考えるんです。
考えるんです。考え方を。
不満だけ言っていても、何も変わりません。
誰も得しません。何も手に入りません。
何か発する力があるならば、
せっかくならさ、理不尽を変えたいじゃないですか。
考えること、諦めないでいきましょう。
教師も、保護者も、子どもたちもね。